同じブリーダー出身のカムイの親戚の子が天に召された。
自分が初めてそのブリーダーさん宅を訪問した時にもその子とは会っているはずだし、自分の膝元にカムイと共にわしゃわしゃ群がってきたうちの一匹だと思うと切なさが募る。
と同時に、17年ぶりに向こうでカムイと再開しているかなと想像してみるとほんわかした気持ちにもなる。
ブリーダーさん曰く、「バーマンは寿命が短くてだいたい12~13歳」と言っていたそうだが、どちらも17歳まで生きた。十分生きた。
…なんていうのは、大切な子を亡くした時には何の慰めにもならないのだけど、それでもそこまで生きたなら天寿を全うしたよ、とも思う。

心の中にはずっと生き続けるしね。

ブリーダーさんが亡くなっているのでそのキャッテリーはだいぶ前に閉まっている。当然ながら当時いたカムイの親猫たちも亡くなり、カムイの世代の子たちもどれだけが生きているだろうか。
自分がアラフィフにもなると(このブログを始めた時はアラサーだったのに…)、少し古い映画を見ると、出演者のほとんどが今は鬼籍に入っていたり、自分が育った古き良き昭和の方やモノがどんどん亡くなって(無くなって)しまった現実を目の当たりにすると、誰しもがいつかは亡くなるという事実が妙にリアルに感じられてくる。生物は生まれた瞬間から死に向かって生きているという言葉の通りだ。
今は健在の両親や大切な友人が生きていることを当たり前と思わず、自分が普通に生きていることすら当たり前と思わず、日々に物事に感謝して大切に生きていかねばと思うのだけど、そんな気持ちと矛盾するかのように、毎日通勤電車に揺られていていていいのだろうか…と焦ってしまう。

どうしたらいいんだよ~、カムイ?と思いつつ、明日も満員電車に揺られてきます(笑)
でも、後悔しない人生のことを真剣に考えていかねば…と思う今日この頃。
30代前半からアラフィフになっても、人生の悩みは尽きないね。トホホ
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カムイは常に穏やかな猫だった。鳴き声もかわいらしい感じで。

そんなカムイが亡くなる前夜(深夜)に咆哮をあげた。これには少々うろたえてしまった。
「カムイ、大丈夫、大丈夫、落ち着け」と抱っこしても、腕から抜け出そうとして暴れた。
「これはカムイじゃない」と思ってしまったほど普段のカムイと異なる様子だった。
悪い飼い主かもしれないが、この様子を見て「もうだめかも…」と思ってしまった。

ただ、この日の朝に出かける時は、カムイはちょこねんとお気に入りに椅子に座って主を見送ってくれたのだ。
「いつものように今日も元気で再開しような」と別れた同じ日の姿とは思えなかった。
自分のいない日中に一体何が起きたのか今となっては知る由もない。
確かにその頃、カムイの老いは感じていた。
数カ月前には人の腰ほどの高さのキッチンシンクの上まで飛びあげるほどの脚力があったのに、この頃は低いところから飛び降りる時も目測を誤ったりしていた。
とはいえである。この豹変は唐突すぎた。
その晩、カムイは夢遊病者のように、室内をうろうろと歩き回った。まるで認知症の老人のように…
抱っこしても、嫌がって腕から脱してまたうろうろと歩き回って、冷蔵庫やテレビの裏などホコリの多いところにも平気で入り込んでしまう。
もしかして、目が見えていない?と思う節すらあった。
「カムイがずっとこんなだったらどうしよう…」と思ってしまったことは否定しない。
そこで無理やりにでも抱きかかえ、腕の中でなだめていた時に、咆哮をあげたのだ。
それはもう深夜1時とか2時の頃だったように記憶している。

カムイを抱いたまま寝室のベッドに移動し、自分の胸の中で一緒に寝た。
最初は毛布の中からも脱出しようと試みたカムイだったが、次第にその力と気力も失せたようで大人しくなった。
いつしか自分も眠ってしまい朝がきた。
カムイは胸の中にいてまだ生きていた。
しかし、もはやベッドから降りる気力もなく虫の息になっていた。
それからカムイが息を引き取るのに時間はかからなかった。
「俺が起きるまで生きていてくれたんだね、ありがとう」
そう伝えてはみたものの、まだ実感も何もわかない。
ただ、息を引き取ったばかりのカムイを抱き上げると、だらりとして何の抵抗もない。
一度たりともカムイの嫌がることをしたことはないが、この時は少しカムイの体をゆらゆら揺らした。
それでも一切の反応はない。。。
「生きているもの」と「死んでいるもの」の差がここまで明確だとは…とその死を受け止めたのだった。

後日、友人が愛犬を亡くした時に、老犬ホームの方に聞いた話によると、犬や猫は衰えてくると自らの死期を悟り、最期が近づくと、自分で逝く決断をするのだという。そのために、最後のエネルギーを消化させようと激しく鳴いたり吠えたりして最後を迎えるのだそうだ。
きっとカムイの前夜の咆哮がそれだったのかもしれない。
「認知症になってずっと室内をうろうろしちゃったらどうしよう…」などと一度は思ってしまったが、それでも生きていてくれた方が良かったことに違いはない。そうなれば家にいなければいけないから、腐れ縁となっている会社を辞める決断にもなったかもしれない。
ただ、カムイは一切の迷惑を掛けずに逝った。
前日まで普段と変わらぬ様子で飼い主と戯れ、ほんの一時、飼い主をうろたえさせはしたものの、自ら覚悟の咆哮をあげてパッと逝った。

潔いピンピンコロリの生きざま、死にざまであった。
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マンションの大規模修繕が始まった。ベランダに出していた植木やサボテン、メダカたちを室内にイン

カムイにはサボテンが危険だし、メダカにもちょっかい出しそう。ベランダには工事の人が入ってくるし、日がな騒音が数ヶ月は続く。
カムイがいたらサボテンで怪我してないかなぁ、毎日騒音でストレス受けてないかなぁ、ずっとふすまの中かベッドの下か布団の中に篭もりきりかなぁと気にかけていたことだろう。
今回だけでなく、外出先で地震や雷があれば、カムイは怯えていないかなぁと思い悩んでいたが、今はそれもなくなった。

カムイが逝って良かったことなどないけれど、カムイが今回の大規模修繕でストレスを受けずに済んだことは、まぁ良かったかななんて思ったりする。

しかし、カムイが逝って半年と少し。まだそんだけなんだ。一年前はカムイがいたんだなぁと思うと切ない。
毎年の大晦日、今年も元気でいてくれてありがとうと伝えて一緒に年を越すのが恒例となっていたのに…

いまだ次の相棒を迎えようという気は起きない。今はメダカと観葉植物とサボテンがいればという感じだね。
そもそも次に迎えるとしたら犬が候補に上がるだろうし、今の状況で子犬を迎えることは難しい。それは子猫であっても同じこと。
こないだホームセンターでウサギを見かけて軽く一目惚れしたけど、ウサギは見た目の可愛さは犬猫を凌駕するものがあるけれど、やはりコミュニケーション能力は犬猫には敵わない。

でもやっぱり改めてかわいいな、レーさん
猫のカムイでさえあんなに慣れ親しんでくれたのだから、犬ならいかばかりだろう?と将来の犬との暮らしを夢見て、しばらくはメダカに癒される日々になりそうだ。メダカも近寄ると向こうも近寄ってきてそれはそれでかわいいもんだ。

昔からのブログの常連さんがコメントくれてうれしいね。ありがとう。
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