我が家(実家)にやってきたカムイは来て数日の間は、隅っこに隠れて鳴いてを繰り返していたが、ブリーダーさんの言っていたように、数日後には嘘のように元の人懐こさを取り戻した。
驚いたのは人の後を付いてくるという点だった。

それまでの私にとっての猫のイメージといえば野良猫でしかなかったが、それは一定の距離を保ちつつ、怪しいものを見る様子でこちらを見つめ、猫なで声をあげて「大丈夫だよ〜」などと近づいても、その一定の距離が一考に詰まらない警戒心の塊であった。
それが、迎えた子猫はついてくるのだ。しかも、ダッシュしてまでついてくる。追い掛けてくるという表現に近い。ダッシュして逃げるならそれまでの野良猫だが、その逆をいくという。勢いあまってフローリングでツツツーと滑って必死に踏ん張っていた様子は今もって忘れられない。

当時は実家にて両親と私、ウサギ4匹とカムイの家族構成だったが、当然ながらリーマンの私は日中は出勤で不在。カムイと接する時間が長いのは必然両親だったので、近いうちに「独身リーマン&猫一匹(ウサギも4匹)」生活を考えていた私にとって、カムイが両親の方に懐いてしまうことは懸念材料だった。
ただ、不思議とそうはならなかった。私が帰宅すれば私のもとにやってきて前述の通りついてくる。犬ならまだしも、猫が家族間の序列、真の主君を理解していたとでもいうのだろうか。"犬のような猫"と例えられるバーマンとはいえこれには驚いた。まさに嬉しい誤算。
この頃から母親は徐々に、「ふん、昼は世話してやってんのに」などと拗ねはじめ、「かわいげがないね」などと憎まれ口も叩くようになったが、何はともあれ子猫当時のカムイが留守番できるようになるまで実家で過ごせたのはありがたいことだった。

カムイが実家にやってきて3ヵ月くらいの頃だったか、難攻していたペット可の中古マンションの契約も順調にことが運びはじめ、遂に独身リーマン&猫一匹(&ウサギも4匹)生活が始まらんとしていた。
戻れるものならあの17年前に戻りたい。。。
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ペット保険を解約した。

亡くなってから2週間後に連絡したが、亡くなった日以後の契約金は日割で戻してくれるそうだ。『ペッツベスト少額短期保険株式会社』、良心的な会社だね。
保険には入っていたがお守りのようなもので、カムイを病院に連れて行くつもりはなかった。特に15歳を超えたあたりからは尚更のこと。
もともと自分自身が薬を一切飲まない人間なので、カムイにも不自然なものを入れたり、身体を切ったりしたくないという思いがあったから。
通院や投薬によって病気の症状を楽にしたり、命を長らえさせることはできるのかもしれない。愛する我が子のために手を尽くすのは当然のこと。ただ、そうまでしても、病院通いで苦しい思いをさせてしまった末に逆に短命に終わらせてしまったというケースもあるようだ。

自分はカムイの終生において『ストレスを与えないこと』を第一のモットーとしてきたので、環境の変化に弱いカムイを車に乗せて別の場所に連れていくということは避けたかったし、死を迎えるなら我が家でと思っていた。古き良き時代のお爺ちゃんお婆ちゃんの亡くなり方だ。その代わりに普段から、食・水・生活環境には細心の注意を払ってはいた。
ただ、そうはいっても、病院通いをさせている飼い主さんを批判しているわけではない。若い時分に病にかかり、やむを得ずそうせざるを得ない猫たちもたくさんいるだろう。それに自分だって、カムイが何日も苦しむような状況に陥ればどうしていたか。病院に行くしかなかっただろう。そして、場合によっては長らく闘病という可能性もあったろう。
そんな飼い主の想いを知ってか知らずか、カムイは亡くなる前日の朝は普段通りの様子で椅子に腰かけ、私も普段通りの「いってきます」を投げかけ、それはいつもの一時的なお別れのつもりだった。いつものように普段通りの夜の再開が待っていると思っていた。
ところが…
自分が晩に帰宅したら様子がおかしくなっていた。
そして翌朝にはあっけなく逝ってしまった。病院に行くなどという暇もなければ考えにも至らない早さだった。
当初は「あまりにも急な…」という悲しさがあったが、今になってみると、カムイの潔いまでの生き様は何ともあっぱれだったようにも思う。
頑固な飼い主をあれこれ逡巡させることもなく、幾日も心配させて心労を抱えさせることもなく、飼い主と共に過ごせる休日に逝った。
死に別れるのは悲しくて辛い。
だけども、それは誰にでも訪れる試練だとしたら、その中では恵まれた別れだったのかも…と今になって思う。
本当に賢く飼い主思いのカムイであった。

カムイはアイヌ語で「神」を意味する。名は体を表す、まさにそれだったな。
改めてありがとう、カムイ。
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カムイが逝ってしまった後、自分でも驚くくらいの冷静さでペット葬儀屋を探した。
その時は時間の経った今よりもむしろ冷静で、カムイの亡骸をずっとそばに置いておきたいとか離れたくないといった思いはなく、できるだけ早く見送ってあげたいとの思いの方が強かったのだ。
いくつかの葬儀屋の口コミをくまなくチェックして、もっとも真摯に対応してくれそうなところに電話を入れると、当日には迎えにきてくれるという。
当初は自分がお寺にカムイの亡骸を運び、そこで手続きをしてもらうのかと思っていたが、最近では担当者が自宅を訪れ、家の近所に置いた車中にて火葬してくれるシステムがあるというのでそうすることにした。
その後の選択肢もいくつかあったが、自分は自らカムイのお骨を拾い上げ、自らの手で骨壺に収めることのできる形を選んだ。
担当者が車中で骨を骨壺に入れてから、その壺を持ってきてくれる形もあったが、私は長年連れ添った相棒として、骨になったカムイも見なければと覚悟したのだ。
その時の様子や思ったことについてはまた後ほどに譲るとして、火葬の際に不思議なことが起きた。
私は長らくiPhoneユーザーだが、それまで一度もそのような経験をしたことがなかったというのに、突如画面が勝手に写真の『For You』という画面に切り替わり、過去のカムイの写真のスライドショーのようなものが流れ始めたのだ。まさにカムイの亡骸を担当者に手渡し、15分ほど経った頃だったように思う。
「えっ何これ?えっ」と初めは戸惑ったが、過去に撮影した懐かしい写真の数々が流れてきて、不可思議だけども温かい気持ちになり、カムイが最後に挨拶に来てくれんだ!と思った。
過去のカムイの写真(思ったほど残っていなかったが…)を整理していて気に入った写真の一枚YouTubeなどでスピリチュアルな動画もたまに見るくらいでそんな思想も嫌いじゃないが、霊的なものがあるかは、霊感のない自分にはさっぱり分からない。
でも、自分がカムイを想っていれば、それだけでカムイはそばにいるってことになるよなとそんな風に思う。
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自分は人生が辛い時、もっと辛い境遇にいる人を思って自分を慰める癖がある。
上を見ないで下を見てどうすんの?という気もするが、悲劇のヒロインぶってる自分を戒めるにはいい方法だ。
カムイが逝って2週間。確かにふとした時に寂しさに押しつぶされそうになることもあるが、カムイと過ごせた17年間を振り返ると、これほど幸せだったこともないとも思うのだ。
カムイが逝ってすぐのこと、とある美術館を訪れた。

『原爆の図』という凄惨な様子をリアルにあらわした屏風絵を見ることができる。

原爆後の戦火で逃げ惑う人々の様子
あまりにも凄惨で目を背けたくなるほどだが、こうした現実が過去にはあったのだ。
いまも世界では戦争が起きていて、なぜ争いがなくならないのだろうと不思議に思うが、幸い日本の現状は平和。まずこれに感謝しなければ。
戦火のさなかで母の胸の中で綺麗な姿のまま息絶えた赤子の様子を記した絵もあった。こんな生き別れ方は辛すぎる。
こちらは、現在実家で父親が世話しているピータという文鳥。

実家を訪れてこの文鳥と触れ合うと、かつて飼っていた「クロ」という文鳥を思い出す。
我が家では歴代でも何匹かの文鳥を迎えているが、このクロほど人懐こかった文鳥は後にも先にもいない。
クロとなら、肩に乗せたまま、そのまま外に出たとしても逃げずに付き従うと思えるほどに従順だった。
そんな家族に溺愛されていたクロに、とある朝、悲劇が起きた。
いつも通り、クロのお世話のために籠の前にいってみると、中にいたのはクロではなく、腹を膨らませて籠から出られなくなってしまったアオダイショウ…
この時の地獄絵図は、あれから20年以上が経った今もトラウマとなって脳裏にこびりついている。
カムイの最期は、「ありがとう」を伝えられたが、クロには「ごめんなさい」の言葉しか送ることができなかった。

これらの辛い過去と比べたとて、カムイとの別れの寂しさが軽減されるものでもないが、それでもカムイとの過去を振り返れば、「幸せだったなぁ、ありがたかったなぁ」と温かい気持ちになれるのだ。
桜が終わってハナミズキの咲く頃になれば、毎年カムイのことを思い出すだろうが、年月と共にそうした楽しかった思い、そんな人生を過ごさせてくれた感謝の念が強くなるだろう。
感謝と言えば…

ブログが縁でお付き合いのあった方からお花のアレンジメントをいただいた。
紫を主体にした花々でアレンジされていて、箱を開けた瞬間にカムイの高貴なイメージにピッタリだと思った。
お付き合いがあったといっても、会ったことはない。
ブログを始めた頃に、大勢の方がブログを訪問してくれて、感謝の気持ちでカムイの生写真プレゼント的な企画をおこなったが、その時だけのご縁(もちろんその後もコメントのやり取りなんかはあったが、ブログの更新自体が少なくなっていたので、そうした方々とのご縁も薄いものになっていた)。
その企画自体10年以上前の話だし、いくらブログでカムイのことを好いてくれていたとはいえ、わざわざお花を送ってくれるなんて本当にありがたい。
うちの住所の確認やら発送にだってそれだけ労力は掛かるだろうし、ふと何か送ってあげたいなと思っても、自分だったら思うだけで済ませてしまいそう。よその子(しかも会ったり触れたりしたこともない子)のために、それを実行できるのは本当にすごいと思ってしまった。
花と共に飾った写真は、当時自分がプレゼントしたうちの1枚。その当時の写真が何枚か引き出しの中に残っていたんだよね。
ブルーを背景にぬくぬくとした感じで眠るカムイが、このアレンジメントともよく似合ってる。
お骨だけだと寂しく映ったけど、これを隣に置いたことで何だかほんわかとした気持ちになれた。
カムイもきっと喜んでいるね。改めまして、ありがとうございました。
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カムイとの日々を思い出すと辛くなるから、もはやカムイと暮らしていた記憶までなくなってしまえばいい、もともと猫など飼っていなかったってことにして欲しい…なんてことをふと思ってしまったりする。
いやいや、それはあかん、カムイとの大切な日々をそんな風に思ったらあかん!と自らを叱責してすぐに思い直しはするんだけどもね。
でも、大切な人(猫)との別れは、長い月日の楽しき想い出を一瞬で打ち消してしまう負のパワーを持っているんだよ。
だからこの経験をした人はもうペットを飼いたくないと言うんだろうね。その気持ちは分からなくもない。
そんな負の感情も年月と共にプラスの(楽しい)感情に転じていくとは思うんだけど、カムイが逝ってまだ2週間だとそう簡単に整理はつきそうにない。
でも同時に、もう2週間も経ったのか…という気もする。カムイが亡くなった翌日であれば、昨日までは生きていたのに…と出来るわけもないのに昨日に逆戻りできるような、あるいはまだ現実ではないと思い込めるというか、そんな感覚があった。
でも2週間も経ってしまうともはや現実と受け入れるしかないし、その日々に慣れて行かねばならない。
何があろうと月日は流れる。だったら人生楽しく過ごさねば損。
と思うわけで、また楽しかった日々の続きを綴っていこう。
カムイ版ウォーリーを探せ
風呂から出てふと横を見るとこんな状態。「わっ、そんなところにいたのかよー」と驚きつつも、その後は「おーよしよし、待っててくれたのか、いい子いい子」などとムツゴロウ化した飼い主をちょっと迷惑そうに眺めていたりするツンデレ王子。------------------------------------------------------------------------
猫と暮らすためだけに購入したといってもいい、レンガ造りの中古マンションは初回の契約を完了しながら、最終的な手続きでもたつき、すぐに引っ越せる状況ではなかった。
三井のリ○ウ○の担当者が突如雲隠れする事態もあったりして、夢のレンガ造りとの縁もここまでか…と思わされる時期(契約破綻のピンチ)もあったが、既にカムイを迎えることは決まってしまった。
両親には、「こうなったらひとまず実家に迎えるしかないね、引っ越せるようになるまでよろしく頼むよ」と半ば強引に人間の親子3人+ウサギ4匹+猫1匹の同居生活を推し進めた。もともと子猫を迎えるには自分一人では無理だったので、ある程度戦略通りといえばそうなのだが。

カムイを迎える日がやってきた。
遠路だけにどうやって迎えるか迷ったが、以前電車でウサギを迎えた時、かなり騒音が気になったのを覚えていたので、友人にドライバーを頼んで車で運ぶことにした。そしてその選択は後ほど正解だと思った。
2度目にブリーダーさん宅を訪問した時もカムイの人懐こさに変わりはなく、これだけ俺に懐いているなら案外親元から離れても大丈夫そうかもなんて思った。そして「絶対お前を幸せにするぞ」と誓ってカムイを受け取り、早々にブリーダー宅をあとにした。
キャリーに入れられたカムイはしばらく大人しくしていた。きっと状況が掴めていなかったんだろう。ただ、友人の車で移動する段階になって突如やかましい声で鳴きだした。本能で母親から遠い地に向かっていることが分かったんだろう。
「ごめんよ、大丈夫だよ」などと声をかけてなだめつつも、そりゃそうだよな、今まで親兄弟とにぎやかに暮らしていたのに突如一人になって見知らぬ土地に連れられていく…不安にならない方がおかしいよと思った。
このか細い鳴き声を聞いて改めて「お前を絶対に幸せにしてやるぞ」と誓った次第だ。
そんな思いを知ってか知らずか、カムイは延々と鳴き続けた。これが電車だったら注目の的だったことは想像に難くない。
カムイは我が家(実家)に到着後も鳴いた。キャリーから出しても狭い隅っこに隠れてそれでも鳴いた。翌日になっても鳴きやまず、このままだと鳴き疲れて死んでしまうんじゃないかと思うほどに鳴いていた。
実は…カムイが亡くなる前の晩、延々と鳴き続けていた。鳴いて鳴いて最後は鳴きつかれて(かどうかは定かではないが)そのまま逝った。最初の日も鳴いて、最後の日も鳴いた。こっちが泣けるわ

話をカムイを迎えた当時に戻して…
さすがに環境になじめず鳴き続けるカムイを不安に思ってブリーダーさんに連絡したところ、「子猫はだいたいそんなものよ。いつか鳴きやむから大丈夫」との心強いお言葉。どうやらこれは日常茶飯事のようだ。
果たしていつの間に鳴くのをやめたカムイが我が家に馴染むのは早かった。
カムイが来た当初に頭を悩ませたのは、ウサギとの距離感だ。カムイを大切に育てるぞなどと言いながら、当初から暮らしていたウサギをないがしろにしていいはずはなく、むしろ先輩のウサギたちを立てるような感じで接していた。
当時は実家の一室しか自分用の部屋がなく、ウサギも4匹いる部屋で就寝していたが、寝る時カムイはそこに入れなかった。今に思うと本当に申し訳ないのだが、ウサギたちが脅えるのではないかと危惧したからだ。
ウサギが先住(先輩)だったからかカムイが気持ちの優しい性格だからか、一度も悶着は起こさなかったし、ウサギがおびえるような素振りを見せたことも一度もなかった。
さすがに一緒に遊ばせるのははばかられたが、このように対面させても、むしろウサギの方が興味津々といった様子も。写真のチャーリーはウサギの中でも一番大きくてカムイと同じくらいの大きさだったしね。むしろカムイの方がビビってた(笑)
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いまだに慣れないよ、帰宅してカムイの迎えのない静かな玄関は…
ドアを開ける時、無意識にカムイが顔を覗かせると思い込んじゃってんの。
脱走対策に扉を大きく開けないようにしている自分に気づいて、「あ、その必要なかったんだ…」って。
三和土にはいなくても、「ただいま」と声をかければ、隣の寝室からのこのこ出てきそうな幻影が見えちゃう。
17年間の毎日の習慣だったからね。体と脳裏に染みついている。
想い出の詰まった家だけど、だからこそ引っ越したくもなってくる今日この頃。

さて、今日も想い出の続きを綴ろうか。
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グアムから帰宅後、ついに未来のカムイとご対面の日がやってきた。
はじめて訪れるブリーダー宅は横浜の戸塚というところ。行ったことはないけど、戸塚ヨットスクールのCMで名前は聞いたことがあった。
何にせよ我が家からはなかなかに遠い。そして、猫のブリーダー宅を訪問することなど初体験だったのでドキドキした。
しかし、玄関をまたいだ途端、異世界の様子にドキドキがワクワクに変わった。
猫カタログでしか見たことのなかったバーマンがリアルに眼前にいる世界。そして、リビングに足を踏み入れると子猫がわさわさ寄ってくる世界。
産まれて間もないであろう子猫たちが手付かず(売約なし)のまま自由気ままに動き回っていた。
この中から好きな子を選ぶ権利が俺にあるんだ!(ヤッター!!)
さて、バーマンの中でも、顔の中央が黒々としたタヌキのような顔のカラーを「シールポイント」といい、その黒い部分が淡い感じの、一般的なバーマンとは一線を画す(?)カラーを「ライラックポイント」という。
いわゆるバーマンらしいバーマン。これはこれで素敵だ私は猫カタログの写真でライラックポイントのバーマンに一目惚れしていたので、迎える子もライラックポイントと決めていた。
そして、ただでさえ少ない日本のバーマンブリーダーの中でも、ライラックポイントを扱っているブリーダーは、調べた限りではこの戸塚ヨットスクール…じゃなくてこの戸塚のバーマンブリーダーさんだけだった。
人懐こいという触れ込みだったバーマンの子猫は、その通りに初めて訪問した30男のそばに我先にと近づいてきた。警戒心0。他人のお宅で緊張気味に正座していた私の腿に前脚をかけてきたりする子猫もいた。
その中でも最も快活で人懐こい子が後のカムイだった。
「その子はライラック。うちではイケメンって呼んでいるのよ」とブリーダーさんに紹介される前から自分の中ではこの子が運命の子だと決めかけていたが、その言葉が決め手となった。
ただ、カムイと先を争うように30男のひざ元に寄ってきたシールポイントの子もいて、少しだけ心が揺れたことも覚えている。揺れたといっても、カムイとその子のどちらにするかではなく、カムイだけにするか2匹とも迎えるかどうかでだが。ブリーダーさんも「2匹連れていけばいいじゃない」なんてことを言ってきたからね。
ブリーダーさんとしては兄弟2匹の方が安心ということもあったろう。ただ、私は猫を迎えるなら1対1の付き合いをしたいと思っていた。
既にウサギを4匹も飼っていて更に猫まで2匹も加わったら大変という思いもあるにはあったが(実家の両親も怒るだろうし)、そういう問題とは別に、猫とは1対1で暮らしたいと思っていたのだ。
ブリーダーさんの勧めもあったので、少し迷う素振りを見せたが、内心では実は後のカムイ一択。
「やっぱりこの子(カムイ)だけにしておきます」と伝えて引き取りは後日。
後ろ髪を引かれる思いでその日はバーマン屋敷を後にしたのであった。この後も子猫を見に来る方がいるだろうが、そのイケメン君はもううちの子だからね、などと内心ほくそ笑んで(笑)

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アマゾンプライムに1972年に放送されていた『水滸伝』がある、中村敦夫主演の。
古い時代の作品なのにとてもよく出来ていて、ほぼテレビを見なくなったブラウン管の唯一の使い道になっていたんだけど、最近は観る気がしなくて途中で止まっている。
というのも『水滸伝』を観る時は椅子に座っていたじゃない。そうすると必ずカムイが乗っかってきた。
今はもう乗ってこない。なんだか切ないんだよね。
『水滸伝』の楽しさの陰に、カムイも乗っかってくるというオプションの力も働いていたんだなぁと。。。
さて、話は前回の想い出の続きに戻って。

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その後、どのくらいの月日が流れたか失念してしまったが、ブリーダーさんから連絡があった。
「次の子が産まれたから見においでよ」と。
ぶっきらぼうに感じたブリーダーさんは実は気さくなタイプの方だった。
ただ、その時になってもまだ猫を迎えることは決定しておらず、「あ…はい、行ける日が決まったらこちらから連絡します」みたいな感じでお茶を濁した。
「決して冷やかしではないんだけど…まだ態勢が整っていなくて。ごめんなさい」と心の中で思ったものだ。
カムイを迎えるにあたっての問題点は2つ。
1.実家で猫を飼うことは無理
2.猫とウサギの同居は可能なのか?
1の障壁は高い。当時はまだ新築だった両親のマンション。終の棲家として購入した新築マンションが猫の爪の餌食になることは許すまじき行為だったのだ。
当時の私は30歳そこそこ。その年になってもぬくぬくとパラサイト生活を謳歌していたが、きっかけがあれば実家を出たいとも考えていた。
そして、そのきっかけが遂に訪れたと思った。家を出てペット可の住居で猫と暮らそうと。ただ、子猫を迎えていきなり留守番させるのも酷だし、そもそもその状況で猫を飼う資格はない。
ある程度、成長するまで何とかできれば…
ということで両親に「実家を出るから子猫がひとり立ちするまで実家に置かせて」と懇願。
しぶしぶながら両親もそれを承認してくれた。
となればやることは決まった。物件探しとブリーダーさんに具体的な話を進めることだ。猫とウサギの同居に関しては、いくつかのうまくいった例を見かけたし、ウサギが先住なら何とかなるだろうと。
物件探しは難航した。賃貸ではなく持ち家(マンション)を考えていたが、貯金は400万円くらいしかなかったというのに、ペット可物件という条件付き。さらに自分の中で壁がレンガ風(のマンション)がいいというまったくもって身の丈に合わない願望も抱いていた。
しかし奇跡は起きた。ペット可、壁がレンガ風、価格も相場に比べて激安の物件(いわくつき物件だったので)が見つかったのだ。
並行してブリーダーさんとの話も進めていたが、実はこちらも一時頓挫した。
「次の子と言っていたんだけど、手違いがあってその子は他の方のところに行くことになっちゃったの。悪いけど次に子猫が産まれたら優先的に好きな子を選んでいいから」
というような連絡がきた。
しかしこれも幸いだった。当時は物件探しも難航していたし、当初ブリーダーさん宅に見学にいくはずの時期に、兄の結婚式が重なってしまってグアムに行かねばならなくなっていたので、グアムから帰宅後では(言い方は悪いが)売れ残りの子しか選べない状況になっていたからだ。
ブリーダーさんはこちらの事情は知らずに「約束を果たせず申し訳ないね、次に産まれた子たちから貴方が好きな子を選んでいいから」と言ってくれている。これは全てがいい方に流れているぞと。
グアムに滞在しながら「グアムって意外と楽しくないね、ハワイの方が良かったんじゃないの」などと思いつつ、既に想いはバーマンの子猫に向かっていた。

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カムイとの出会いの数か月(数年前だったかな?)、本屋で何気なく手に取った『猫カタログ』で見た「バーマン」という猫種。
そんな猫がいることすら知らなかったが、写真からでも伺うことのできる愛嬌と気品、解説を読めば「犬に例えられるほど人懐こくて愛情深い」ともあった。
ビビビッ!とくるとはまさにこのこと。その場でいつの日かバーマンを迎えることを誓った私である。
幼い頃から犬派で、将来の夢が犬(コリー)を飼うことだった私にとって、共に暮らす相棒の本命は犬だったが、一人暮らしの身で犬は無理。当時は実家暮らしだったが、そもそも実家暮らしで犬(猫も)はご法度だった。
でも、「ウサギならいいだろ」と実家のマイルームにすでにウサギを4匹も迎えていた。
上:レーさん
下:チャーリーウサギも当然可愛いし愛情を持って育てていたつもりだが、テレビドラマで見かける人間と犬ほどの密な関係(名犬ラッシーのような)は保てない。
だからウサギと暮らしながらも犬を諦められなかったし、「でもやっぱり犬は無理だよなぁ、猫なら何とかならんかなぁ…などと思っている時に無意識に本屋で手に取った『猫カタログ』でのバーマンとのご縁だった。
その本にバーマンのブリーダー情報が載っていたので、電話番号をメモって自宅に帰ってさっそく電話を入れた。
電話に出られたブリーダーさんは、ちょっとぶっきらぼうな感じ。こちらもまだ具体的に迎えることが決まったわけではないので(数時間前に『猫カタログ』でバーマンを知ったばかり)、ちょっとしどろもどろになってしまったが、最終的に「これから子猫が産まれてくるけど、そこは予約が入っているからその次の子を良かったら見においでよ」ということを言ってもらったように記憶している。
こちらとしても「すぐに見においでよ」なんて言われても困るところだったので助かった。
まず猫を迎えるにしても当面は実家になるので両親の説得が必要だったし、そもそもウサギと猫の同居って大丈夫なんかい…という問題もあった。しばらく考える時間があったことは幸いだったのだ。

※最終的には杞憂に終わったウサギたちと猫の関係
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家の中を徐々にかたしはじめた。
カムイのトイレはまだそのままにしていたけど、これもかたさないとなぁ。
亡くなる前日、帰宅してカムイのトレイをチェックすると、砂で隠されることもなく堂々としたブツが置かれていた。見た目かりんとうで猫のそれとしては極上の仕上がり。便秘気味な飼い主のブツより立派なんじゃ?とにんまりしたばっかりだったのに。
カムイのいた頃は日々掃除機をかけてもかけてもどこからか沸いてくる毛に辟易した。黒い服を着れば、「この人絶対猫飼ってるでしょ」とバレバレな状況に苦笑した(実際言われたことあり)。だけど、今となってはカーペットに絡みつく白い毛までもが愛おしい。
亡くなった後、尻尾の毛をカットして身につけるという手もあったけど、ゴージャスな尻尾の毛を切るのも忍びなく、そんな物理的なものを残さなくとも、カムイはずっとここ(心)にいる、とカットすることはしなかった。でも、今となってはカットしておけば良かったなと思ってみたり。
本棚や戸棚を開けるとどこからともなく現れたカムイ。好奇心旺盛に狭いところに潜り込もうとするから、カムイがいる時は手で遮ってすぐに扉をシャットアウト(中はホコリで汚れていたし)。そんな場所も今では開放しっぱなし。隙を見て必死に潜り込もうとしたあの情景が懐かしい。

2012.8.19
網戸には脱走対策用のクリップとつっかえ棒を設置していた。だからカムイと過ごした17年近く和室の網戸は開かずの状態になっていたけどそれも外した。これで和室からもベランダに出られるようになったけど別に嬉しくもない。

2012.10.2
想いは書くことで浄化できるという。ならばこれから徐々に書いていきたい。いずれは最後の晩のことも書きたいけど、それはまだ先になりそうだ。まずはカムイを迎えた頃からの想い出をブログを始めた当時の気持ちに戻って書いていくのもありかなと思ってみたり。
自分用に書くという感じでひっそりとやっていくので、時系列もめちゃくちゃに支離滅裂な内容になりそうだけど、カムイを愛してくれた皆さんに届いたら幸いかな。
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先週、カムイが逝ってしまった。
亡くなった直後は意外にも現実を受け止めることができていた。
でもそれは突然すぎて、まだ実感が湧いていなかったからかもしれない。
亡くなる間際は苦しそうだったので、これ以上苦しい思いをしてほしくないとの思いから、逝ってしまったにも関わらず、心のどこかでホッとしてしまった部分もあったのかもしれない。
逝ったのは週末だった。
葬儀だったり他にもすべきことがあったので気を紛らわすことはできたが、寂しさは日常が戻ってから襲ってくる。
特に帰宅して玄関を開けた時。
17年近くもの間、必ずといっていいほどタタキに待機していたカムイの姿がないのはいたたまれない。
それでも今も「ただいま、カムイ」と声を掛ける。
熟睡していて出迎えに出遅れた時でも、そう声を掛ければ寝ぼけまなこのままでも出迎えてくれたあの姿、脳内にはイメージできるのにその現実はない。
椅子に座れば必ず膝の上に乗ってきたカムイ。
いまも座ればカムイの魂が乗ってきてくれるのだろうかと思いつつ、あの重みや温もりを感じられないと虚しくなるので椅子に座ることもはばかられてしまう。
カムイのお気に入りだった椅子。

この写真はカムイがなくなるほぼ24時間前の撮影。生前最後の写真…
この日の夜、体調に変調をきたし、そのまま逝ってしまうなんて誰が想像できただろうか。
最近は朝出かける時に「今夜も元気に会おうな」と頭を撫でて出かけるのがルーティンになっていたけれど、この日は声は掛けたものの、頭を撫でたかの記憶は定かでない…
いまは寂しさと悲しさしかない。でもその想いよりも感謝の気持ちの方が強い。
最期の時はずっと「ありがとう、ありがとう」と連呼した。
17年間の想いはとても一言では言い表せないけど、それでもいま言えることは『ありがとう』しかない。

亡くなる4日前の写真。老猫とは思えないほど可愛く撮れた。
最後まで気品と可愛さを失わなかったカムイ。
カムイを愛してくれた皆様ありがとうございました。
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カムイの17歳の誕生日に超久々にブログを更新したら懐かしい方々からコメントをいただいた。
気まぐれでブログを訪れてくれたのか、あるいは神(カムイ)のお告げでもあったのかは分からないけど、まだ繋がりがあって当時のやり取りを思い出したりして嬉しくなったよ。

そんなわけでまたカムイの元気な様子を定期的にお伝えできればとも思ったけど、実は最近、17歳を迎えたカムイにめっきり老いを感じるようになった。
少し前までは人間の腰くらいまであるキッチンシンクに飛び乗る跳躍力を見せていて、ブブカもびっくりなカムイだったんだけど、最近は飛ぼうとしてもうまく飛べないことも多くなってきた。自分では飛べると思ってジャンプしているんだけど、体が追い付かないのか前足こそ台にひっかけるも体全体を乗り上げることはできず、そのまま落下なんてことも…。そういう時に見せる決まずい表情を見るのはちと切ない。
動きもめっきりスローになったし、帰宅した時に玄関に迎えにくる率も以前は99%ほどだったのに、今では90%くらい(しかも今まで寝てましたといった様子でのっそりと)になってきた。
何より気になるのはカムイの視力がかなり劣化しているのではないかということだ。もともと視力のよくない猫とはいえ、以前なら眼前に指やら物を持っていけばパッと反応してそちらに視線をやっていたのが、最近はその反応も鈍い。
吐き戻しは以前からあるし、食欲はまずまずでうんPもかりんとう。水もよく飲んでいるし病気という感じではないのだけど、そうなるとやはり防ぎようのない自然現象(老い)ということになるのかな。

カムイと暮らし始めた頃にブロ友だったお宅の猫の訃報を聞くことも多くなってきたし、そりゃ17歳(人間換算84歳)ともなれば若者のようにはいかないよなぁと思いつつ、少し前まではこの感じなら20歳までは余裕と思えていたのが、最近では先々確実に起こりうる事態も考えておかなければ…と思うようになってきた。
かつて暮らしていたウサギのレーさんが、平均寿命を大きく超えながらも元気で若々しい容姿を保っていたので、「うちのレーさんだけは特別だい」なんて思っていたら、ある日からガクッと衰えあっという間に逝ってしまったことを思い出す。

とまぁ寂しい内容の更新でなんだけども、こういう状況だからこそカムイとの日々を大切に過ごそうと思うのだ。
愛猫が逝ってしまった後に、もっとこうしてあげられなかったのか…と後悔、懺悔の念にかられる飼い主さんは多いし、その気持ちは分かる。
が、その後悔をしないために、今カムイのためにできることを出来る範囲で愛情持ってやっていくつもりだ。もしもの日(とはいえ生あるものに必ず訪れる日)が来たとしても、「ごめんね」ではなく「ありがとう」と言って送り出せるように。

ま、こんなことを言っておきながら、まずは18歳、そして19歳、20歳と老いたなりのカムイと過ごせることを願っているし、そうなるように努めていくよ。
自分だって明日にはどうなるか分からない人生、まずは一日一日を大切に。
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