今日は昭和記念公園でシャーレイポピーの鑑賞会。

この公園は犬を散歩させている方が多いね。ペットは家族の一員なんだなと感じるね。
自分の好きな犬種ベスト3は、柴犬、ゴールデンレトリーバー、コリーなんだけど、今日は柴犬(しかも好きな黒)に遭遇できた。そして、やっぱり柴犬いいよなぁと思う。
が、以前は好みの犬を見かけると、「俺も飼いてー」と思っていたのが、今はそんな気にはならない。
幼い頃から、“犬と暮らすことが夢”だった私にとって(ちっさい夢だな、おい)、いずれ犬と暮らしたいというぼんやりとした想いはあるけれど、カムイを失くしてひと月しか経っていない今は、まだ犬にせよ猫にせよ、新たな子を迎える未来は想像できない。
自分は一途なところがあって、プロレス界で愛したブルーザー・ブロディが亡くなったらプロレスへの興味を一切失い、テニス界で愛したモニカ・セレシュが引退したらテニスへの興味をだいぶ失い、歌謡界で愛した中森明菜が休業状態になっても代わりの歌手は受け入れられない、ハリウッドで愛したファラ・フォーセットが亡くなった後にはどんな女優も彼女にはかなわない…といった感じで、好きが高じてその唯一無二の存在がいなくなると、ポッカリ穴が空いたようになってしまって、その後が続かないのだ。
ペットロスは新たな子を迎えることで解消されるというが、自分にとってカムイは唯一無二、初めて共に暮らした猫だったので、果たして次の子を迎えたとしてどんな状況になるのか想像もできない。
「カムイならこうしてくれたのに…」といったように、ことあるごとにカムイと比較してしまいそうな自分がイメージできてしまってこわい。そうなったら自分だけでなく迎えた子も不幸だ。
だから、今は次の子を迎えるなど想像できないのだ。
さて、話題を変えて今日はこちらのパソコン画像のご紹介。インスタでは紹介したけど、インスタを見られない方もいるようなので。

壮大な地球とのコラボ。かの名曲『瑠璃色の地球』をイメージして作成してもらった作品のようだ。
パソコン画を作成するぞ~2上記リンクより当時の記事を拝見すると、作成していただいたのは、2010年のこと。カムイは5歳。若いなぁ。
実はこの絵を描いていただいて、わざわざ郵送で我が家に送っていただきながら、ずっとその絵をいただいた当時の状態のまま、戸棚の奥底に保管していたのだ(ごめんなさい)。
というのも、なんとなくカムイが生きている間に、肖像画のたぐいを飾るのは気が引けて、もしカムイが逝ってしまうようなことがあれば、その時はこの絵を飾らせてもらおうと思っていたからだ。
12年の時を経て開封させていただいたパソコンによる絵画は本当に素晴らしかった。

地球バージョンではなく、A4サイズのこちらもあって、こちらは寝室の骨壺の横に

背景がイエローでまるで黄金オーラをまとったようなこちらは玄関に、我が家の守り神として飾らせてもらった。
ずっと仕舞い込んだままで申し訳なかったけれど、今後は大切にさせてもらいます。
なんだかカムイがそこにいるようでホッとします。

絵は5歳当時のカムイの写真をモチーフにしたものだけど、17歳のカムイもそんなに変わらないよね。
美魔女、いや、美魔男?選手権があれば上位入線間違いなしだったわ(笑)

この2枚の写真は亡くなる3週間ほど前のものなんだ。
絵を描いてもらった5歳当時(いやその前)からずっとずっと飼い主の方をこうして見守ってくれていた。
下の写真は、飼い主が横顔も撮影したいからと、左上に何か気の引くものをちらつかせてそちらを見させているけれど(笑)
この時はまさか3週間後に…なんて思いもかけていなかったよなぁ…
またちょっとしんみりしてきちゃったので、今宵はこの辺にて。
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実家にいた時のカムイの写真が発掘された。

ほそっ

でも、この頃から愛おしい…

これらの写真を挙げるにあたって、過去に挙げたことのある写真かな?と思って一番最初の記事を読み返してみたけど、その記事の写真が我が家(実家ではない)で撮ったものだから、実家にいた時のカムイの写真は貴重かも。
その後、どこかでアップしているかもしれないけど、もはやどの記事だか埋もれちゃっているし、昔のブログの記事は写真のサイズもちっちゃいしね。

これ、実家の絨毯だ。懐かしいなー。ネズ公のおもちゃが大好きだったっけ。

実家もマンションだけど一階だから庭付きなんだよね。羨ましい。庭の風景は変わりないな(今日も実家にいったばかり)。
カムイは何を見てんだろうね。目線の先には文鳥がいたかな?
動物って圧倒的に子供の頃が可愛いもんなんだよ。人間もそうだけど、犬も猫も。だからペットショップでも子犬、子猫が陳列されて、大きくなると売れなくなってしまう…
でも、この当時のカムイは幼すぎるね。
可愛いっちゃ可愛いけど、この後、年を重ねるごとにもっと可愛く、さらにかっこよくなっていった。

そうそう、これこれ、成熟のカムイ。
いい子に育ってくれたよな~(ずっと親ばかブログでしたね、今も (*´v`))
他にもいくつかDVDに収めた過去の写真があったので、気が向いたらアップしていこうか。
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今日は神奈川にある寒川神社を訪れた。

神社はその敷地に入った途端にふわっと気が変わるのを感じられるからいい。
もしかしたら気のせいかもしれないが、「気のせい」という言葉自体、気が作用しているのだからやっぱりそう感じられることはいいことだ。
カムイが逝ってから、心のどこかで「神社なんて…」と思ってしまった。

「猫返し神社」の別名を持つ阿豆佐味天神社で、今年もこうやってお願いしたのに…なんて八つ当たりしてみたり。
でも、やっぱり神社はいい。神社は本来お願いするところではなく、感謝を述べるところ。
今日も初訪問の寒川神社に、ご縁を感謝してきた。
さて、今日も過去の想い出に浸っていこう。

カムイを飼い始めた頃だと思うが、何度か(おそらく3度)脱走させてしまったことがある。
カムイは臆病なくせに好奇心だけは旺盛だったので、出られるものなら出てしまおうという感じだったのだろう。
1度目は朝の出勤前のことで、ふと気づいたらカムイがいない、窓を見れば網戸が猫1匹が通れるくらいに開いていて青ざめた。
すぐにマンションの廊下側に出て、「カムイ、カムイー」と呼んでも反応はなし。まだ出てからそう時間は経っていないはずなんだが…
どこを探せばいいのか途方に暮れかけたが、一度マンションの外に出て外からマンションを見上げてみると、「あ、いた!」
いたのは2階、我が家は4階。
外から発見できたくらいだから、廊下とか外から見えない部分にいたのではなく、2階のどなたかのお宅の段の上。段の上といってもイメージしにくいだろうが、写真のカーテンレールの上の部分のようなところだ。

何の足場もなく、壁をよじ登ってでもしなければ、猫であっても上れるとは思えない高さなの段なのだが、その上にカムイがちんまりと佇んでいた。降りるにも降りれず、ジーッとしていた。
冒険心で4階から2階に降りてしまったはいいが、そこで人の気配でも感じたのだろうか、あわてて火事場のバカ力を発揮して、壁をよじ登るようにしてそこに到達したのだろうか。これは今もって謎だ。
家の中では飼い主に忠実なカムイも、外だと飼い主にすら警戒心を発揮して降ろすのにもひと苦労したが、この1回目の脱走が最も発見も早かったし事なきを得たという感じだったかな。

2度目は朝に自分がいる時ではなく、日中の留守中の出来事。
夜に会社から帰宅すると、玄関にメモのようなものが…それは隣のさらに隣の方からのメッセージ。
「お宅の猫ちゃんを預かっています」と。
1回目の脱走はマンションの廊下側だったが、2回目はベランダ側。
どうやって隣に侵入したかは謎だが、カムイは隣の家のベランダに行ってしまったようだ。
ベランダに出た隣の住人が自分の家のベランダに猫がいたのでオッたまげ(そりゃそうだ)。
当時は越したばかりで近隣ともほぼ没交渉だったので、隣の家の住人がうちと反対側の隣の家人に相談。そのお宅も猫を飼っていたので、「うちで預かっておきますよ」という運びになったそう。
なぜカムイが我が家の猫と判明したのかは定かではないが、とにもかくにもしばしの時をそのお宅で過ごしたカムイ。
うちからは一戸隣のそのお宅の方には今でも感謝している。
とにもかくにも2度目の脱走もことなくをえてホッとしたわけだが、さすがに隣人まで巻き込んでしまったとなると、もうこんな過ちは冒せない…と心に誓ったのだが、2度あることは3度あった。

3度目の脱走も私が不在の時にベランダ側から出てしまい、また隣の家のベランダに侵入してしまった。
この時は確か両親が我が家を訪問していた日で、一緒にランチのために外食した際に起きた事件だったと記憶している。
カムイと暮らし始めてから両親を家に呼ぶのは、何か頼み事があった時くらいなので(ベッドやソファーの搬入など)きっとそういう事情のあった日だと思うが、当時のカムイはかつて実家で両親と暮らした記憶も忘れて2人を部外者と見なしていたので、両親が在宅している間はどこかに隠れて息を潜めていたはず。
ランチのために自分と両親が外に出たらホッとして、気持ちも大きくなってベランダに出てしまったのだろうか。何にせよ、網戸の戸締りチェックを怠った自分が最も悪いのだが。

この時も玄関の扉にメモが挟まれていた。
差出人は隣の隣人でもなく、猫を飼っているさらにもうひとつ隣の隣人でもない。
なんと警察署からのメモだった。
「!!!」
背筋が凍るとはまさにこの時の感情だ。
というのもそのメッセージには「猫を保護している」とだけ記載してあったが、警察が介入してきたとなると、カムイがベランダから落下して重症あるいは瀕死の状態に陥り、マンション内では対処できないから警察が呼ばれたのでは…と悪い方に連想してしまったからだ。
2度目に隣の家のベランダに侵入して以後、緊急の際に破れる戸と戸の間地切の下をレンガで塞ぎ、猫ですら通れないように対処していたので、移動できるとしたらベランダの細い柵をつたってということになるが、そこに飛び乗った際に勢いあまって外に落ちてしまったら…
いかに猫といえども4階から落下しては無傷では済まないだろう。
あぁ、網戸チェックを怠った俺のバカバカバカ!
と後悔しても遅いが、取り急ぎ恐る恐る警察に連絡してみた。
すると、
「お宅の猫ちゃんが隣のベランダに侵入してしまったようなんですね。隣の方は猫が苦手らしいから警察に電話されたんですよ。猫は警察署で保護しているから迎えに来てください」というものだった。
はぁ〜、へなへなへな〜
この時の安堵感ときたらなかった。
もはや逝ってしまったカムイだけど、この時に落下して命を落とすようなことがなくて本当に良かった、本当に…と今でも思う。

この一件がきっかけとなって、今度こそカムイを危険に遭わせるような事態を招くまいと誓い、以後はそういったトラブルは皆無で過ごすことができた。
ちなみに警察署で保護されていたカムイは、大型犬の檻のようなケージの中でジッとしていて、私が「カムイ、おいでー」などといっても地蔵のように固まって動かなかった。警察の人間に連行されて訳の分からぬ場所に閉じ込められたらそうなるのも無理はない。
これが、カムイと暮らした17年の中で最も懺悔しなければいけない出来事だったなと思う。
逝ってしまったカムイに向かっても、「あの時はこわい思いをさせてごめんな、カムイ」という感じである。
こういうこともあったから、17歳という寿命以上の猫生を全うしてくれて、亡くなる前日まで普通に過ごすこともできて、いつか必ず訪れるであろう別れの中では最もいい形でお別れできたのかなと思ったりもするんだよね。
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我が家(実家)にやってきたカムイは来て数日の間は、隅っこに隠れて鳴いてを繰り返していたが、ブリーダーさんの言っていたように、数日後には嘘のように元の人懐こさを取り戻した。
驚いたのは人の後を付いてくるという点だった。

それまでの私にとっての猫のイメージといえば野良猫でしかなかったが、それは一定の距離を保ちつつ、怪しいものを見る様子でこちらを見つめ、猫なで声をあげて「大丈夫だよ〜」などと近づいても、その一定の距離が一考に詰まらない警戒心の塊であった。
それが、迎えた子猫はついてくるのだ。しかも、ダッシュしてまでついてくる。追い掛けてくるという表現に近い。ダッシュして逃げるならそれまでの野良猫だが、その逆をいくという。勢いあまってフローリングでツツツーと滑って必死に踏ん張っていた様子は今もって忘れられない。

当時は実家にて両親と私、ウサギ4匹とカムイの家族構成だったが、当然ながらリーマンの私は日中は出勤で不在。カムイと接する時間が長いのは必然両親だったので、近いうちに「独身リーマン&猫一匹(ウサギも4匹)」生活を考えていた私にとって、カムイが両親の方に懐いてしまうことは懸念材料だった。
ただ、不思議とそうはならなかった。私が帰宅すれば私のもとにやってきて前述の通りついてくる。犬ならまだしも、猫が家族間の序列、真の主君を理解していたとでもいうのだろうか。"犬のような猫"と例えられるバーマンとはいえこれには驚いた。まさに嬉しい誤算。
この頃から母親は徐々に、「ふん、昼は世話してやってんのに」などと拗ねはじめ、「かわいげがないね」などと憎まれ口も叩くようになったが、何はともあれ子猫当時のカムイが留守番できるようになるまで実家で過ごせたのはありがたいことだった。

カムイが実家にやってきて3ヵ月くらいの頃だったか、難攻していたペット可の中古マンションの契約も順調にことが運びはじめ、遂に独身リーマン&猫一匹(&ウサギも4匹)生活が始まらんとしていた。
戻れるものならあの17年前に戻りたい。。。
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ペット保険を解約した。

亡くなってから2週間後に連絡したが、亡くなった日以後の契約金は日割で戻してくれるそうだ。『ペッツベスト少額短期保険株式会社』、良心的な会社だね。
保険には入っていたがお守りのようなもので、カムイを病院に連れて行くつもりはなかった。特に15歳を超えたあたりからは尚更のこと。
もともと自分自身が薬を一切飲まない人間なので、カムイにも不自然なものを入れたり、身体を切ったりしたくないという思いがあったから。
通院や投薬によって病気の症状を楽にしたり、命を長らえさせることはできるのかもしれない。愛する我が子のために手を尽くすのは当然のこと。ただ、そうまでしても、病院通いで苦しい思いをさせてしまった末に逆に短命に終わらせてしまったというケースもあるようだ。

自分はカムイの終生において『ストレスを与えないこと』を第一のモットーとしてきたので、環境の変化に弱いカムイを車に乗せて別の場所に連れていくということは避けたかったし、死を迎えるなら我が家でと思っていた。古き良き時代のお爺ちゃんお婆ちゃんの亡くなり方だ。その代わりに普段から、食・水・生活環境には細心の注意を払ってはいた。
ただ、そうはいっても、病院通いをさせている飼い主さんを批判しているわけではない。若い時分に病にかかり、やむを得ずそうせざるを得ない猫たちもたくさんいるだろう。それに自分だって、カムイが何日も苦しむような状況に陥ればどうしていたか。病院に行くしかなかっただろう。そして、場合によっては長らく闘病という可能性もあったろう。
そんな飼い主の想いを知ってか知らずか、カムイは亡くなる前日の朝は普段通りの様子で椅子に腰かけ、私も普段通りの「いってきます」を投げかけ、それはいつもの一時的なお別れのつもりだった。いつものように普段通りの夜の再開が待っていると思っていた。
ところが…
自分が晩に帰宅したら様子がおかしくなっていた。
そして翌朝にはあっけなく逝ってしまった。病院に行くなどという暇もなければ考えにも至らない早さだった。
当初は「あまりにも急な…」という悲しさがあったが、今になってみると、カムイの潔いまでの生き様は何ともあっぱれだったようにも思う。
頑固な飼い主をあれこれ逡巡させることもなく、幾日も心配させて心労を抱えさせることもなく、飼い主と共に過ごせる休日に逝った。
死に別れるのは悲しくて辛い。
だけども、それは誰にでも訪れる試練だとしたら、その中では恵まれた別れだったのかも…と今になって思う。
本当に賢く飼い主思いのカムイであった。

カムイはアイヌ語で「神」を意味する。名は体を表す、まさにそれだったな。
改めてありがとう、カムイ。
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